四国のお城巡り

こんにちは!

センチュリー21ホンクメの樋口です。

お盆休みを利用して、四国の方に行ってきました。

途中、広島の尾道に寄り、しまなみ海道を通って四国に入りました。

先ずは、今治城に!

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今治城は、藤堂高虎が築城の海から直接船が入れる海城の機能を持つお城です。

高虎は関ヶ原の戦いでの活躍により伊予の国に移り、養子の高吉が継ぎましたが、後に松平久松が今治藩主となりました。

明治時代の廃城令によってほとんど取り壊されたので今は石垣と内堀のみが現存しています。天守はコンクリート造りの再建天守です。

ですが、立派なお城でした。

次の日、朝一番で松山城に!

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お城は小高い山の上にあるのでロープ―ウエイで行きました。

松山城は、加藤義明が築城しましたが、途中、広島城を受領した為、蒲生氏が藩主となりました。蒲生氏が参勤交代中に病死し、蒲生家が断絶となり、松平定行が城主となりました。

そして翌日、本命の高知城に!

天守と本丸御殿が現存しているのは、高知城だけだそうです。

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土佐藩は、長宗我部が治めていましたが、関ケ原の戦い後山内一豊が土佐に入り、高知城を築城しました。

山内一豊が織田信長の家臣だったころ、妻が10両の馬を買った話は有名どころです。内助の功っていうやつですかね(^_^;)

新しい藩主は土地の家臣も召し抱えるのですが、長宗我部の家臣たちはなかなか従ってくれなかったそうです。

それで、元々の山内一豊の家臣を上士、旧長宗我部の家臣を下士とする武士の階級ができたとされています。

明治維新の立役者、土佐の英雄と言われる坂本竜馬の家は下士の身分だったといいます。

桂浜には坂本竜馬像  1534221271204

 

室戸岬には中岡新太郎像  DSC_0954

どちらも世界を視ていたんですかねぇ

高知城には板垣退助像がありました。

DSC_0916板垣死すとも自由は死せず!と言ってるんでしょうか

今年の夏は暑かったですね!

そろそろ秋の気配もしてまいりました。9月に完成予定の新築分譲住宅が多数あります。またそちらもお伝えします。

ではこの辺で・・・